2021/04/08

MICHEL HENRITZI / MICRO JAPON [日本語]


Michel Henritzi氏による、日本のアンダーグラウンドシーンで活躍するミュージシャン三十数名にわたるインタビューを収録した著作『MICRO JAPON』が、フランスの出版社LENKA LENTEよりついにリリースされました !

リンク : LENKA LENTE

全てフランス語なので、自分のページだけ少し加筆修正して翻訳してみました。


 

SHIN’ICHI ISOHATA

 


磯端伸一は、今井和雄氏や大友良英氏など他の著名な同門の先輩ギタリストに続く、故・高柳昌行氏に師事した最後の生徒でした。高柳氏の音楽行為や音に対する理念、倫理観は磯端に多大な影響を与え、師事して以来、音楽に彼自身の基準と完成度を課してきました。高柳氏が亡くなるまでの6年間、彼はストイックに研鑽を積みました。

晩年の高柳氏の音楽は「アクション・ダイレクト」と名付けられた凄絶なソロ・ノイズ・プロジェクトが中心となり、プリペアドされたエレクトリックギター、機械やエンジン音、地下鉄の轟音、独裁者の演説… などを最大音量で増幅させた多層コラージュによる、巨大なノイズのカタストロフでした。

高柳氏とは対照的に、磯端の音楽は内側へ向かう微細な音響や、静けさの中からサウンドが紡がれます。爆発的な高密度よりも余白やわびさびを好む俳諧のように、彼の音楽にはこれまでに体得したテクニックの実証は多くありません。彼の音楽は非常に繊細で、壊れやすく、ドローイングのように励起されます。その運指は、複雑なパターンの倍音から織り込まれた幽玄なメロディーを描きます。

私は杉本拓氏の紹介によって磯端の存在を知ることが出来ました。杉本氏は磯端を高く評価し、彼のためにギター・ソロ曲を作曲したこともあります。

磯端は作曲家でもあり、『フリーダカーロの遺品 / 石内都 - 織るように』 (監督 : 小谷忠典) のドキュメンタリー映画などの音楽を担当しています。

現在は関西を拠点として、即興や自らのプロジェクトの公演をしばしば開催し、国内外の様々な分野で活躍するアーテイストとたくさんの共演を果たしています。




出身地は?

1962年に大阪で生まれました。兄弟姉妹は居ません。 18歳まで大阪の隣の尼崎市に住んでいました。


最初に記憶している音は何ですか? 音楽を意識したのはどういったものですか?

最初に興味を覚えた音は、子供向けアニメとか特撮の効果音やオノマトペでした。 武満徹の映画「怪談」のような。


楽器演奏に興味を持ったのはどういうわけで? なぜギターを選んだのですか?

中学生の頃、日本ではフォークソングやポップスが人気で、それらは主にギターで伴奏されていました。それで私も時流に流され、ラジオとかから聞こえる曲の弾き語りをやりたくて自然にギターを手に取り弾きはじめました。当時は友人からクラシックギターを学びました(彼は多くの賞を受賞している非凡なギタリストでした)。


テクニックは音楽を作るために不可欠な要素ですか? 演奏技術とはどのように関係しますか?

テクニックは自身の表現を満たすためのスキルなので、表現したいものに依存します。 明確なビジョンのない過度の技術至上主義に没することは時間の無駄だと思います。


学校では音楽の授業はありましたか?日本の学校は子供たちにどのような音楽を伝授しますか?日本の歴史において、明治時代から伝統音楽は西洋音楽に置き換えられて教えなくなったと聞きました。外来音楽に対する伝統文化の掩蔽をどう思いますか?

ほとんどの伝統音楽は、それぞれの地域独自の民族性に由来しており、日本にもな少なからずの種類の伝統音楽があり、それぞれがその時代の社会とも関わっています。第二次世界大戦前までは、和風の歌や童謡も教えられていたと思いますが、戦後の音楽教育は西洋音楽主体でした。そのため、今やほとんどの日本の伝統音楽は民間伝承で受け継がれています。それでも私は明治政府が主として西洋音楽を採用したことについては特に否定しません。前述のとおり邦楽は民間伝承によって受け継がれています。固有の民族性は根強いので、簡単には無くならないのではないでしょう。そもそも 音楽(のみならずあらゆる芸術)を「教育」することはできません。畢竟、「芸術の教育」は権威主義と利権への関心、芸術家自身の堕落という、当然のごとく大きなリスクを持つことになってしまいます。なので小中高の一般公的学校では(伝統)芸術をあくまで「紹介」程度で捉えればよいのではないでしょうか。時間的にも音楽ならせいぜい初歩的な楽器の演奏方法や音符を教えられるくらいです。もっと学びたければ、専門の学校に通うなり誰かから個人的に学べばよいだけです。「音楽」をやりたければ誰もが自分自身で自由にできます。「教える」ことができるのは技巧と知識だけです。ともあれ芸術や文化に対する意識については、日本とヨーロッパの間にいくばくかの温度差があるでしょうが、こういった問題惹起(音楽教育)は、伝統芸術や文化は大衆各々で守らなければならない日本の、古来~現在における国民性(舶来指向も)にも起因するのかもしれません。


大学時代は何を聴いていましたか? どういったものを演奏するのが好きでしたか、またその理由は?

ジャズの理論とジャズギターを本格的に学びたかったので、二十歳前に大学を中退して東京のジャズ音楽院に入りました。当時は主にジャズやフュージョンを演奏したり聴いたりしていました。13歳の頃にテレビの音楽番組で見かけたジャズギターなるモノ(ギタリストはおそらくエディ・デュラン)の不思議なハーモニーとメロディーに魅了されたのがきっかけで、それ以来私はジャズに熱中するようになりました。


ジャズはあなたにとって何を意味しますか?ジャズは、壁紙のように、日本社会のあちこちに存在しています。高柳氏に会う前に興味をそそられたミュージシャンはいますか?

子供の頃から、聞いたことのないジャズの不協和音やメロディーに魅了されてきました。それだけでなく、瞬時に作曲・演奏される「アドリブ」というものにも大変興味を持ちました。それらはやがて取り組むことになる「improvisation - 即興」の重要な礎になりました。

高柳さんと出会う遥か以前、初めて購入したジャズのLPは何故か「Midnight Blue / Kenny Burrell」だったことから、彼のギターや、その後にはJoe Passのソロなどを楽理も解らず夢中で耳コピーしていました(Joe Passのスコア出版物もありましたが誤植だらけだった)。また、ジャズとはちょっと違いますが当時のJeff Beckの音楽やサウンドも大好きでよくコピーしました。その他、中学生時代の友達がクラシックギターの名手であり、彼がアンドレス・セゴビアやジョン・ウィリアムズなどたくさんのクラシックギターアルバムを紹介してくれたおかげで、名人たちの音色とタッチには大変影響を受けました。クラシックギターの分野においては、西洋の作品だけでなく、Agustín Barrios(アグスティン・バリオス) や Leo Brouwer(レオ・ブローウェル) などの南米のギター作品および現代音楽作品にも触れることができ、私はそのような音楽に強い刺激をもらいました。日本の伝統楽器である琵琶の音色も好きだったので、ある時、武満徹の「November Steps(ノヴェンバー・ステップス)」を知り、それ以来、武満氏の多くの作品からも影響を受けています。日本のポピュラー音楽では、昭和歌謡に始まり、井上陽水の曲(と星勝の編曲)、初期~中期の松任谷(荒井)由実の曲、そして夫の松任谷正隆の編曲、 長谷川きよし、YMO、渡辺香津美(彼も高柳教室の優秀な生徒でした)等々、およそ当時の同世代リスナー同様、数えきれないたくさんの曲に触れ魅了されてきました。


日本のジャズについて話すことはあなたにとって意味を持ちますか? もしそうなら、どのような?

日本のジャズ(の歴史)についてはよくわかりません。さらに今は日本のジャズとは全く交流がないので、現在の日本のシーンについて何も話せることがありません。高柳さんが亡くなる1991年までに氏が語った日本のジャズシーンについては多少聞き覚えていますが、その多くは厳しい批判とアンチテーゼに費やされてしまいます。


日本のフリージャズに対して高柳氏が特に嫌っていたことは何ですか ?

少々語弊があるかもしれませんが、当時の高柳さんの話として、純粋に音楽を愛さずにビジネスに利用するだけのミュージシャン(すぐ流行に左右される)や、常に真摯に積極的に学ぶことなく売名に走ってばかりの人達に嫌悪感を抱いていました。高柳さんは常々、自分を偽らず極力「白い部分」を残したきれいな手で音楽に人生を捧げたい、と語りそれを全うしました。


高柳昌行氏との出会いとレッスンを受けたきっかけは?彼の前に他の誰かに師事しましたか?

高柳さんと出会う前、私は少しの間、東京のあるジャズ・スクールに通っていました。その後、当時阿佐ヶ谷に住んでいた素晴らしいギタリストのTim Donahue(ティム・ドナヒュー) 氏と出会い、彼から音楽理論とギターの個人レッスンを受け、さらにフレットレスギターも教えてもらいました。ティム氏はフレットレスギターの名手として知られています。

そんなある日、西荻窪の「アケタの店」というライヴハウスで、私は高柳さんのノイズミュージックなるものを初めて「体験」することになります。私はその頃「ノイズ」という音楽概念さえ知らず白紙状態で店に飛び込んでしまったため、いきなり超巨大な轟音が私の体に侵入し、脳内を抉られ捩られ、全身を揺さぶられて…、まるで落雷に打たれたような驚天動地の聴取体験となったわけです。その記憶は今でも鮮明に蘇ってきます。あまりの凄まじさと拷問のような音圧に私は耐えきれず、最初はすぐにでもその場から逃げ出したかったのですが、その一方で、音そのものが実体(生命)を得て活き活きと蠢き増殖していくような感触と、新たな「美意識」のようなものが心身にじわじわと浸透していくような心地良さにも包まれ、徐々に私はその神秘的で常識外れの世界に没入していきました(おかげで1週間ほど耳鳴りが治まりませんでしたが…)。この畏るべき体験の後、私はいったいこれが何であるのか無性に知りたくなりました。幸運なことにそのライヴ当日、若かりし大友さん(当時は高柳さんの生徒でもありローディもされていた) が高柳教室の新たな生徒募集チラシを会場の壁に貼っているのを見つけてしまい、私は絶好のタイミングですぐに教室の門をたたくことを決心しました。まさに自分の音楽人生におけるターニングポイントであり、1985年、22歳の春でした。


Eric Dolphy, Bill Evans, Jim Hallを聞いた後にアクション・ダイレクトのパフォーマンスを見るのはかなりショックだったでしょうね。

高柳さんのノイズミュージックは何度も聴きに行きました。 前述のとおり、初めは凄まじい拷問のごとき痛みを感じましたが、私の中では徐々にいくつかの美的価値観が転換していきました。 信じられないかもしれませんが、何度か聴取経験を重ねていくうちに、氏のノイズサウンドはやがて交響楽的ハーモニーの美しさと心の安寧を私にもたらすようになったのです。 後年、高柳さんは自身のノイズミュージックを「サイケデリック」と仰っていましたが、私もまさにそのように実感します。しかしながら、こういった感覚は生のライヴを体験しないと味わえないでしょうね。



日本のフリーシーンについてはすでにご存知ですか? 私は吉沢元治、山下洋輔、阿部薫、佐藤允彦などを思い浮かべます…、間章氏や副島輝人氏の文章は読みましたか?

日本のフリージャズシーンに起こった過去のいくつかのムーヴメントは知っています。 しかしながら、実はそのほとんどに興味を持つことができませんでした。もちろん 間章氏や副島輝人氏の著書、ライナーノートはいくつか読んでいます。自分にとって最も興味深く信頼できたジャズ、フリーミュージックの評論家は詩人の清水俊彦氏です。


あなたがまだ若く自己を模索していた時期に、海外のジャズと、国内に出現してきたジャズの定義そのものに疑問を投げかけるような先鋭的シーンとの間における対立をどのように経験しましたか?

音楽以外の、当時の社会的、政治的、経済状況などによるものも少なからずあったと思います。 自分は楽器の練習や音楽の勉強で手一杯だったので、実際のシーンやムーヴメントに直接関わることはありませんでした。 私は歩き始めたばかりの見習にすぎませんでした。


高柳さんとのレッスンはいかがでしたか?彼は何について話していましたか?彼は哲学や政治についての議論のためのクラスを開いたのですか?

1985年、当時高柳さんは渋谷の旧カワイ楽器のスタジオで3つのクラスを教えていました。大友さんは第一期生でした。私は高柳さんのレッスンがあることをそれまで知らなかったので、最後の三期生としてすべり込むことができました。当初は個人レッスンではなく、クラス全員によるグループレッスンの形式で始まります。私たちのクラスには開始時には20人以上の生徒がいたかと思いますが、すぐに人数が減ってしまい最終的に残ったのは3人で、途中からはスタジオ内でのプライベートレッスンに変わりました。このクラスで現在も音楽の活動をしているのはおそらく私のみだと思います。

レッスンは基本的にギターを弾くための基礎パターンの連続でした。 楽器の持ち方(座り方)や、左手(左利きの場合は右手)による押弦などはクラシックギターに似たフォームでしたが、クラシックとは違ってピックを使い、足台を用いて右足にギターを置きます。高柳さんはレッスン中にしばしば音楽やいろいろな事について熱く語りました。 話が実際のレッスン時間より長くなることもありましたが、私にとってはそれも非常に興味深い貴重な時間でした。

また、高柳さんが亡くなるまでの1年余りにすぎませんが、ギターレッスンとは別に、とある原宿のビルの一室でジャズの歴史についての講座が月に二回開かれることになりました。 Joachim Ernst Berendt(ヨアヒム・E・ベーレント)のジャズの歴史本「ジャズ / ラグタイムからロックまで (油井正一・訳)」(ドイツ語のタイトル「DASJAZZBUCH VON RAG BIS ROCK」) が使用され、私を含む数人の生徒と、外部からも何人かが参加して、ジャズに限らず音楽全般について、高柳さんの実体験を踏まえた見解と考察を学びました。 話は他の芸術、政治、社会問題に至るまで多岐にわたりました。


高柳氏が提唱した"Mass Projection" と "Gradual Projection" のコンセプトについて教えていただけますか?

これらは、音の密度(リズム、強度、エネルギー) に関する2つの対極です。噛み砕いて言えば、gradually projection は非常に低密度の音の集合であり(音量的には大小可能ですが、沈黙から大音量ノイズへのプロセスではありません)、Mass Projectionはマックスの音量かつ超高密度の音数です。これらのコンセプトはしばしばフリースタイルにおけるギター演奏や "Action Direct" のセットでアプローチされました。ただし、これは単に音数や音量における大小の差というわけではありません。大音量ノイズの中には沈黙が存在します。また沈黙といっても無音ではなく、ノイズ(大音量高密度)を含む「空」としての存在を意味します。両方が別々に存在するわけではなく常に共存します。 2つが1つです。これらは天台の「一念三千」思想のように、仏教哲学的な意味合いを含んでいます。高柳さんはある時期まで(多分30代くらいまで)熱心な仏教徒でした。晩年、私は高柳さんから「自分はある意味仏教を音楽化しようとしている」という話を聞いています。"Action Direct" におけるエレキギターの弦をモーターで震わせるのは、人間では演奏不可能な高速リズム(振動)を必要としたからです。


音楽にとっての沈黙はあなたにどのような意味をもたらしましたか?

上述の高柳さんの考えと近く、沈黙を静寂として捉えています。個人的には日本的な「わびさび」といったものでありそれは無音ではありません。 広大な(あるいは微細な) 空(間隙)の中で、響きの趣を感じられる状態、状況。武満徹氏は、和楽器を用いたいくつかの作品で、音を出すことによって「沈黙(静寂)」を表しました。 おそらく日本人の多くは、様々な響きの空間において一種の静寂を自然に感じているのではないでしょうか。 誰もが知っている松尾芭蕉の俳句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」で感じられるような。または逆説的に、静寂の中で微細な音を出してもミクロの世界では巨大なノイズにも成り得る。


高柳さんのレッスンは、楽器の練習や音楽への投影に何をもたらしましたか?

レッスンの課題は私にたくさんの反省と効果をもたらしました。高柳教室に入った時、私はすでにある程度のスキルを持っていた(と錯覚していた)ので、最初は単純な半音階などを際限なく繰り返すことに大変退屈していました。愚鈍ゆえ個々の課題の大切さを理解するには少々時間が必要でした。ずいぶん後になってから、このレッスンが自己の悪しきフォームや慣習を修正するのにどれだけ重要であったか、また、音楽表現と演奏技術の結びつきも痛切に実感するに至りました。


高柳氏の音楽について今どう思いますか? Action Directをどのように見ていますか?

ギター演奏による高柳さんのインプロヴィゼーションは、コンテンポラリーのアプローチも取り入れた「ジャズに近い」先鋭音楽だと感じます。 D.ベイリーのアプローチにもその傾向がありますが、二人には多くの異なるルーツがあります。 私のギター演奏は両氏のスタイルにも影響されています。とはいえ私が実際に体験し鮮明に記憶している高柳さんの演奏の多くは、ギターを抱えることの少ない晩年のノイズミュージックでした。初めて聴いた時の"拷問のごとき痛み"は、聴取を重ねていくうちに子守唄のような心地よさに変わり、サイケデリックなリアリズムとして心身に残っています。奇妙なことに、(Action Directで) 自分がノイズの大洪水に包まれていた時、一方ではしーんとした静寂に浸っている感覚がありました。 他のノイズミュージックではそのようなことは一度もありません。しかしこればかりは実際のライブでしか体験できないので、今となっては本当に貴重な体験となりました。また、ギター演奏で言えば、高柳さんの強力なピッキングからマスプロジェクションと同様のエネルギーをしばしば感じ取りました。再々申し上げますが、私はMass Projection = Gradually Projectionという認識で捉えています。


高柳さんのレッスンを終了してからどうされましたか? 現在、どういった音楽と向き合っていますか?どんな音楽をやりたかったのですか?

1991年に高柳さんが亡くなり、その時はまだレッスン課程を修了していなかったので、残っていた生徒の中で私を含む数人が、今井和雄氏に就いて教本の面倒をみていただきました。今井さんは高柳さんから「卒業」という形をもらえた唯一の生徒でした。その後、私は指を壊してしまい、残りのプロセスを学ぶことに多くの時間を費やしました。途中、家の事情で地元に戻らなければならなくなり、最後は録音したテープを送るやりとりの通信教育のような形で、とりあえず教本の全過程を見ていただいた後、私は予てから高柳ノイズに内包されるサイケデリアとリアリティを再現検証したかったので、地元関西で実験的なソロノイズプロジェクトを何年間か続けました。しかし音楽的には「静」や抽象概念についても長年考察し続けています。 現在、私はいわゆる音楽の要素や抽象概念から音量なども含め多少は自由な境地になれました。より深く音楽に向き合うべく、これからも様々な音、あらゆる歴史などをもっと学んでいく必要があります。真にジャンルやカテゴライズなどの枠を超えた、未知なる「音楽の実体」に少しでも近づきたい。


今井氏、大友氏といった他の生徒たちとの交流はありましたか?

残念ながら高柳さんに習っていた時期は両氏とも音楽的な交流や共演はありませんでした。今井さんは当時すでに高柳さんのもとを卒業しておられたので、病気がちの高柳さんが入院された際には故・飯島(晃)氏とともに代替講師を務めていただいたこともあります。


杉本拓氏とはどうやって出会いましたか? "ONKYO"(音響) シーンについてはどう思いますか?

すみません、杉本さんとはいつどこで初めて会ったのか思い出せません。 でも彼があなた(Michel)に私のCDを送り、最初に紹介していただいたことは覚えています。 そのことは今でも本当に感謝しています。「オンキョー」との出会いもはっきりとは記憶にないのですが、最初にそのサウンドを体験した時、John Cage のカートリッジミュージックを初めて聴いた時のような衝撃を受けました。私も朧げにそれと近いコンセプトを持っていたのでとても共感を覚えます。


ジョン・ケージのテキストは、あなたに何らかの音楽的影響を与えましたか?

彼の革新的な音楽哲学には非常に興味がありましたが、正直なところ、実際に音として表現された作品 (4分33秒や、音楽を伴わないパフォーマンス類も含めて) はあまり好きではなく、易・偶然性による作品に惹かれることはそれほどありませんでした(私の耳が「音楽」に囚われすぎて開かれていないからだとケージに言われそうですが)。 ただし、彼のカートリッジミュージックやエレクトロニクスの類は大好きで、いくつかの作品にはワクワクします。


大友良英氏とも演奏されていますが、彼との共演はいかがでしたか?

大友さんとは長い間会っていませんでした。 2005年の東京でのライブレコーディングが実質的に初めての共演だと思います。 そのあとまた間が開き、2013年に再び一緒にデュオのレコーディングを行い、その夜に大阪のライヴでも共演しました。 その後、2015年の東京で、私が音楽を担当させてもらったドキュメンタリー映画の紹介とライヴを行った際に大友さんにゲスト出演してもらって以来、交流が途絶えています。なので共演はほんの数回しかありませんが、大友氏は自分が一緒に演奏していて最高に気持ちの良い共演者の一人です。 大友さんの奏でるサウンドには、しばしば共通の思い出による懐かしさがよぎることもありますが、ミュージシャンとして氏の真摯に研ぎ澄まされた感覚と広大なレンジを有する音楽性に敬意を示しつつ、毎回本当に楽しい。 大友さんの音楽はもちろん高柳さんとは違う彼独自のものですが、そのサウンドには間違いなく高柳スピリッツが内在しています。


作曲はどのようにアプローチしますか? 従来の記譜法やグラフィックその他のスコアを使用したことはありますか? 即興にどんな余地が残されていますか?

今の私は実験音楽的なタイプのコンポーザーではありません。また、コンセプトを練った後にゆっくりと構築していく方法を取ることもありません。記譜はたいてい通常の五線譜に普通の音符を書きます。しかしリズムに関しては、ほとんどの私の曲はテンポが曖昧で自分にしか感受できないので、小節線は必要ありません(便宜上入れたりもしますが)。リズムは私が即興演奏で自然に出す「間」でもあるので、他の演奏者にはイメージをつかんでもらうのが甚だ容易ではなく、いつも四苦八苦しています。作曲方法については、あるとき、私の五感の記憶のようなものがふいに音像に変換されることがあって、それらが実際のサウンドとして現れます。音は抽象絵画のようでもあれば、ポピュラー音楽のような時もあります。 なぜそうなるのか自分でも全くわかりません。その後、それらを形のある曲として構成するためにしばしば加筆修正していきます。わけのわからない答えですみません。でもいつもそんな感じなのです。


即興に何を見出そうとしていますか?

デレク・ベイリーは自著『インプロヴィゼーション:即興演奏の彼方へ』の中で、即興は様々な音楽に息づいていて、音楽を生み出すプロセスとして内在している…、というようなことを書いていたように記憶しているのですが、私もそれに同意します。プリミティブな音楽はしばしば即興演奏されるし、インプロヴィゼーション自体は流行に左右されるものではありません。そもそも作曲も創造も、時間を延長した即興行為のようなものではないでしょうか。

また、即興は自身の過去から抽出した記憶やクリシェの再現に過ぎない、と考えている向きも多いかと思います。かつてジョン・ケージや何人かのコンテンポラリー作曲家は、即興というものに興味を持たず、むしろ音楽家を阻害する一連の悪しき習慣として捉えていたし、モートン・フェルドマンも自分の提示した図形楽譜を演奏者自身が勝手な解釈や即興で演奏してしまうため、グラフィックな記譜法をあきらめて通常のスコアに戻ったと述べています。

対照的に高柳氏は、インプロヴィゼーションこそ音楽に革新をもたらす大いなる可能性・光だと主張しました。高柳さんは即興をクリシェや習慣(手癖)、あるいは単なる過去の記憶の再現であるとは考えていません。とはいえそれは現時点であまりにも高次な光です。いつか人間の内面がより高いレベルに達した日に顕現するであろう意味においての可能性なのでしょう。 まことに難しいことですが、そのようなインプロヴィゼーションの世界を、自分が生きているうちに少しでも垣間見れたらどんなに幸せなことでしょう。


ソロ・インプロヴィゼーションと、他のプレイヤーとの集団即興にはどのような変化がありますか?自分の内なる世界にいるために、他のミュージシャンの演奏を聞くことがないのですか?

私は表現に対する自分自身のコンセプトや明確なイメージを持っているので、ソロでの即興、または自作の曲を演奏するだけの方が無難ですが、他のミュージシャンと即興で演奏する場合は、なるべく自分の美的価値観に近い人との共演が理想です(今は集団即興における実験的試みにそれほど興味がないというのもあります)。ただ共演者に共通のジャンルやルーツ、近い表現方法を求めているわけではなく、あくまでも一緒に「作品」を作っていく「プロセス」を楽しめる即興アンサンブルにしたいのです。あるときは美術のグループ展のように、お互いのソロを時間軸で横並びにして連続またはスライド演奏していく、連歌のような手法をとることもありました。 いずれにせよ、お互いの表現を毀損することなく、さまざまなアイデアを模索しながら、即興の歴史的失敗を繰り返さないようにすることを自分の肝に銘じています。


あなたはフリーダ・カーロに関する映画のサウンドトラックを作曲しました。どのようなアプローチで臨みましたか?あなたの音楽とフリーダの絵の間にはどんな共鳴をもたらしましたか? 映画のサウンドトラックを作ることはあなたにどのような影響を及ぼしましたか?

そもそも映画音楽自体が未経験である私が、無謀にも小谷監督の作品に参加したいと思ったのは、監督の絵(映像)の美しさが心に大きく共振したからです。フリーダ・カーロは有名なので、名前と作品のいくつかは知っていましたが、このドキュメンタリー映画に接するまで彼女の壮絶な人生の痛みや苦しみについてはそれほど知りませんでした。フリーダの作品はインターネットの画像でしか拝見しておりませんが、メキシコ風味の彩色、その反対に痛々しく奇妙なタッチとフォームで描かれた作品の数々に触れているうちに、私はなんともいえない妙な気持ちに駆られました。そして自分の心の眼が作品の中に見た、血と、祈りと、純白の世界、また彼女の「ブルーハウス」の鮮やかな青によってイメージが触発され、いくつかの曲を作りました。しかし私はやがてフリーダの洋服や靴、日用品など、彼女の遺品にも興味を持つようになり、さらにはそれらを驚くべきリアリティと美しさで撮影された石内都さんの写真に心から魅かれました。フリーダの遺品は、石内さんの優しく温かな愛情と、素晴らしい陰影とライティング、そしてデリケートな構図の感覚によって、もしフリーダが見たら絶対に喜ぶであろう素敵な写真作品として発表されました。その石内都さん自身の姿とリアルタイムのライフワークを、小谷監督がドラマティックに、独特の文学的なタッチと、静謐な美しさを湛えながら、素晴らしい映像化に成功するという、三重のドキュメンタリーだった。結果、私はフリーダ、石内さん、小谷監督、の三人の芸術家から大きな刺激とイメージをいただきました。それゆえこの映画で私はフリーダ・カーロのためだけではなく、美しい映像はもちろん、石内さんと小谷監督にも音楽を捧げています。


ヨーロッパをツアーされましたが、聴衆およびヨーロッパのミュージシャンが音楽に対して行うアプローチにどのような違いを感じましたか?ヨーロッパでプレーすることはあなたにとってどんな意味がありますか?

私が生まれ育った日本では既に西洋音楽がいたるところに浸透していました。私自身も耳を傾け、日常的に演奏し、それらが好きなので、ヨーロッパのミュージシャンのアプローチに対する違和感はほとんど感じません。しかし逆に西洋人の多くが日本人に対して抱く奇妙な印象はまだ残っているのだろうなと思います(例えば物事を曖昧にしたり、善悪の判断をどっちつかずに濁したり…)。これらは、古来からの宗教意識やモラル観に根本的な違いがあるからかもしれません。

ヨーロッパへの初訪問以来、私は異文化交流の喜び以外にも、日本人の感覚で作られた自分のアブストラクトな音楽がリスナーにどのように受けとめられるのか大変興味がありました。2019年のツアーで演奏した"幽"のコンセプトはまさにそれです。"幽"という観念概念を他の言語で説明するのは非常に難しいのですが、およそ「もののあわれ」にも似た、ゆらゆらとした霊魂のようなものというか、霞に包まれたような、ぼんやりとした幻想といった感覚です。今回、私は素晴らしいダンサーのみすずさんと、私の曲をいつも忍耐強く理解に努め演奏してくれるピアニストの薬子尚代さんとともに欧州数カ国を訪問しました。幸せなことにどこの会場でも、私達の"幽"のパフォーマンスに対して多くの観客が楽しんでくれて、お世辞抜きにたくさんの賛辞をいただきました。それは私にとって大きな喜びであるとともに予想外の驚きでもありました。


あなたにとって録音(記録媒体)は何を意味しますか?

録音はあくまで記録に過ぎません。 実際の演奏を聴くことが最も大切ですが、記録媒体は臨場感の追体験を楽しんだり、今や音楽の分析などには欠かせない便利なツールであることは確かです。 また、記録媒体は演奏家や音楽の歴史を長期に渡ってより正確に保存・検証できる方法です。

 

 Propos recueillis par courrier à l’automne 2020

Photographie de Michel Henritzi


 


 

 



 


 

 

 


2021/04/07

MICHEL HENRITZI / MICRO JAPON [English]

  

The book Michel Henritzi interviewed more than thirty musicians active in the Japanese underground scene has finally been released !


 

SHIN’ICHI ISOHATA

 

Shin'ichi Isohata was the last student of Masayuki Takayanagi (who taught guitar), after other more illustrious guitarists, such as Yoshihide Otomo and Kazuo Imai. His way of thinking about the musical act and sound, his morality, were profoundly influenced. From these years spent in the shadow of the master, he has retained a taste for work, perfection, high standards. For six years until Takayanagi died, he spent a lot of time practicing stoic.

Takayanagi's music in his later years was a tremendous solo noise project named "Action Direct".  It was a too huge noisy catastrophe world with a multi-layered collage that amplified prepaid electric guitars, machine and engine sounds, subway roars, dictator speeches, etc...

In contrast to Takayanagi, the music of Isohata begins with a subtle inward sound and silence. Like haiku, which prefers blank space and wabi-sabi to explosive high densities, in his music, not so much enumeration and proof of the advanced instrumental techniques he has mastered. His music is very delicate, fragile and played like a drawing. The fingering draws a mysterious melody woven from complex patterns of overtones.

I was able to know Isohata through the introduction of Taku Sugimoto. Sugimoto highly valued him and once have composed for him a works for solo guitar.

Also as a composer, Isohata was in charge of music for the documentary film of The movie “Legacy of Frida Kahlo --Miyako Ishiuchi, as weaving” (Director: Tadasuke Kotani),etc.

 

Where were you born ?

I was born in Osaka in 1962,  child who my parents had is me only.  I have grown and lived in Amagasaki City where is neighbour Osaka till 18 age.

 

What is the first sound you remember? Who made you aware of the musicality of a sound?

My first impressed sound was an onomatopoeia of a special effects children's program or anime. It was like the sound of Takemitsu's movie "Kaidan".

 

There is a first musical stir I imagine that makes you want to learn an instrument? Why did you choose the guitar?

When I was junior high school age, Japanese folk songs and pops were popular, and they were mainly played with guitar.  So I naturally took up the guitar, like a lot of teenagers and started playing the guitar because I wanted to sing some songs that were on the radio.  I studied classical guitar from my friend(he was already an genuine guitarist who won many awards.)

 

Is technique an essential element for creating musically? How do you relate to this question of playing technique?

Technique is a skill to satisfy your own expression, so it depends on what you want to express. I think that excessive technique supremacy without a clear vision is a waste of time.

 

Did you study music during your school years ? What kind of initiation into music does the Japanese school give to children? I read in a History of Japan that from the Meiji era traditional music ceased to be taught in favor of Western music. How do you feel about this occultation of a traditional culture for an exogenous music?

Most traditional music is related to our folklore, there are many genres of music in Japan, each one related to a social class. I think some songs and nursery rhymes with having Japanese taste was teached till Pre world war 2,  but most of the postwar music education was Western music. So now most traditional Japanese music is inherited by folklore only.

However, I do not deny that the government has adopted Western music. Also, traditional Japanese music is inherited through folklore. The spirituality inherent in the nation is so deep-rooted so I think it will not easily disappear.  I think it can't "educates" music(or all art). Ultimately, Education of the arts has huge risk to leads to authority and business interests and degrading the artist himself.  I think schools should keep art as just only "introduction".  Teaching about music will be at best about how to play an instrument. Everybody who want to do "music" can do it freely. If you want to learn more, you can go to a specialized school or learn from someone personally. In any case, "teaching" helps you only for skill and knowledge. Although there might be differences in awareness about art & culture between Japanese and European, it may be a national character as the each public have to protect art or culture by ourself in Japan.

 

What do you listen to during your university years? What do you like to play and why?

Before turning 20 years old, I wanted to learn the theory of jazz and the technique of jazz guitar in earnest, so I decided to drop out of college and entered a jazz music school in Tokyo.  Mainly I played or listened to jazz or fusion music in that time. Because of I was enthusiastic about jazz ever since I was fascinated by the mysterious harmony and melody of the jazz guitar (guitarist was probably Eddie Duran) which I saw at a TV show when I was about 13 years old.

 

What does Jazz represent for you? Jazz is very present in Japanese society, a bit like a wallpaper. Who are the musicians that interest you before meeting Takayanagi?

Since I was a boy, I have been fascinated by the strange dissonances and melodies of jazz that I have never heard before. But not only that, I was very interested in "ad lib" of jazz, which was composed and played instantaneously. I am sure that it was the important basis of my "improvisation" for creation of music more freely in the future.

Before meeting Takayanagi,  my first buying LP of jazz guitar when I was boy was "Midnight Blue / Kenny Burrell"(I don't know why), so I was enthusiastic about copying his music or Joe Pass's solo by ear only without knowing jazz theory. I also loved some Jeff Beck's electric guitar music or sounds. Other, My friend when my junior high school age was so good at classical guitar, he taught me the performance albums of Andrés Segovia, John Williams etc... So I was influenced from their guitar tone or touch. and classical guitar world has also introduced me not only in Western classical works but also in South American guitar works like Agustín Barrios or Leo Brouwer or contemporary music, and I was affected strongly by such any music.In Japanese, When I was high school age, I liked also Japanese traditional instruments "Biwa" besides the guitar, so I found "November Steps" by Toru Takemitsu and a lot of works were a great influence on me since that. In Japanese pop music, I liked to listening too many songs, for example, Shōwa-Kayō, some songs of Yōsui Inoue, or most of early Yumi Matsutōya's songs by her husband Masataka's arrangement, Kiyoshi Hasegawa, YMO, and Kazumi Watanabe(he was Takayanagi's excellent student), etc..

 

Does talking about Japanese jazz make sense to you? And if so, why ?

I don't know much about the history of jazz in Japan. What's more, I can't talk anything about the current Japanese jazz scene because now I have no connection with them. I can indirectly tell you what Takayanagi said about Japanese jazz scene till in 1991, but most of them will be dominated by severe criticism and antithesis of the Japanese jazz world.

 

What takayanagi didnt like especially in japanese free jazz music ?

What takayanagi didnt like especially in japanese free jazz music ?

As Takayanagi's own words at that time (although there may be bit some misunderstandings...), he had felt an intense aversion to musicians who don't love music purely and use it for just business (they tend easily to get influenced with trends), or had disliked as well the persons who don't study seriously and actively all the time and busy for just publicity stunt. He said always what wanted to devote his life to music with clean hands as much as possible, and he did it.

 

How did you come to meet Masayuki Takayanagi and take his lessons? Did you study with another teacher before him?

I studied at a music school in Tokyo before I met Takayanagi.  Later, I have learned jazz theory and guitar from a great guitarist named Tim Donahue who was staying in Japan at the time. He also taught me the fretless guitar. He is known as a fretless guitar virtuoso.

afterwards, one day when I was 22 age, I had really mysterious experience listening Takayanagi noise music at small livehouse in Tokyo. I still remember the terrible huge roar invaded my body and brain and shook me all. I couldn't stand the torture-like sound and wanted to escape from the scene soon, but on the other hand, I felt a strange beauty in the sound and was gradually fascinated(my tinnitus continued for about a week after that).  After listening to this "terrible" sound, I already wanted strongly to know what this music was all about. Just that day,  coincidentally I found that Yoshihide Otomo who his student or his roadie of Takayanagi, put up a leaflet on the wall of the venue to recruit students for Takayanagi's lessons. This day was a turning point in my life. It was the spring of 1985.

 

I imagine that watching an Action Directe performance after listening to Eric Dolphy, Bill Evans, Jim Hall… must be quite a shock.

I had experience of Takayanagi Noise music for many times. As mentioned earlier, At first time,  it was a horrific torture-like pain, but within me some aesthetic values have changed. Believe it or not, over the course of several experiences, his noise became to give me the beauty of a symphonic harmony, and peace of mind. Takayanagi said about his own noise music it's "psychedelic" music, I also think that's right... although we won't be able to experience it except in a real concert.

 

Did you already know the Japanese free scene? I think of Motoharu Yoshizawa, Yosuke Yamashita, Kaoru Abe, Masahiko Sato… Did you read the writings of Akira Aida or Teruto Soejima?

I know some past movements about such world. But... sorry in fact, I couldn't be interested in most of such scenes. I have read some of the writings or linner note of Akira Aida or Teruto Soejima. My most trusted criticisms or commentaries on free music are written by Toshihiko Shimizu.

 

When you're a young musician looking for yourself, how do you experience this confrontation between imported jazz and the emergence of such a radical local scene that calls into question the very definition of jazz?

I think it maybe has something to do with the social, political and economic conditions of the time other than music. I didn't have time to experience directly in such confrontation  because of Takayanagi's overly hard guitar practice and music studies. I was only baby student yet.

 

How were the lessons with Takayanagi? What was he talking to you about? Did he open his classes to discussions on philosophy or politics?

In 1985, Takayanagi had three classes at his studio in Shibuya at the time. Otomo belonged to the first class. I was late and became a student of the last class due to I didn't know that there was such his lesson. Initially it was a group lesson with everyone in the room of studio, not an individual lesson. I think there were more than 20 students in our class at first, but soon the number decreased,  and at the end it has been a private lesson since eventually there were only three. I think mabe I'm the only one who is still active in music in this class.

Basically, Takayanagi's lesson was the basis for playing the guitar only. We played in a form similar to a classical guitar such as how to hold the instrument (sitting form) and how to hold the strings but we use a pick or put the guitar on the right foot with a footrest. Takayanagi often spoke deeply about music during the lesson time. Sometimes the talk was longer than the actual lesson time, but they were a very interesting and valuable time for me.

For about a year before his death, twice a month, he taught for us a jazz history in addition to guitar lessons at other place. We used Joachim Ernst Berendt's jazz history book (German title "DAS JAZZBUCH VON RAG BIS ROCK") to learn his views on music in general. His lectures ranged from music to political and social issues.

 

Could you enlighten us on his concepts of Mass Projection and Gradually Projection?

They are the two extremes of sound density (rhythm, intensity, energy). In very simple terms, Gradually Projection is very low density sound number (volume is possible both big and small, but it's not the "process" such as from silence to loud noise.), Mass Projection is maximum volume and ultra-high density sound number.  These concepts were often played at his free style guitar performance or noise set as "Action Direct". But please keep well in mind it is a big misunderstanding to simply recognize the difference between the number of notes and the volume. It means that there is silence in the noise. And silence does not mean no sound, but the existence of noise(loud & ultra-high density) into it.  Both do not exist separately, but always coexist. Two means one. These have Buddhist philosophical meanings such as "There are 3000 worlds in a momentary thought." Takayanagi was an avid Buddhist till some point (maybe up to about his 30s age ), and  He told me in his later years that he is trying to challenge the musicalization of Buddhism. He also said about why he use motor on his electric guitar in his Action Direct noise solo project,  it was he wanted an extremely fast rhythm (vibration) that humans couldn't play.

 

What does silence in music mean to you?

The silence for me is like Japanese feeling "Wabi-Sabi", it's not "no sound". There is an expanse (or even small) of space there. A space where a resonance coexists. Toru Takemitsu created silence in some works with Japanese instruments by making sounds.  I think maybe many Japanese feel a kind of silence in some sounding space. It might be close to Haiku of Basho Matsuo "Deep silence, the shrill of cicadas, seeps into rocks.(shizukesa-ya iwa-ni shimiiru semi-no-koe) ". Or as otherside consept , My making minimum sound in the silent space will be too loud noise in the micro world.

 

 

What did his lessons bring you in your practice and your reflection on music?

They brought me so much reflections and effects. I already had some skill when I became his student, so it was very boring at first to keep simple repetitions and chromatic scales endlessly. It was needed time for me to understand how important they were. Later, I really understood how important this lesson was for helping so much me to correct my bad habits, and the important links between musical expression and technique.

 

What do you think of his music today? How do you see Action Direct?

I analyze that the improvisational performance that Takayanagi actually played the guitar is a cutting-edge "close to jazz" music that uses a contemporary musical approach. D.Bailey's approach also has that tendency, but they have many different roots. My guitar playing is strongly influenced by both two styels. Most of his performances I actually experienced were during the last noise music period. I still remember the sound clearly. The pain of torture when I first experienced it gradually turned into a lullaby-like comfort, which still feels like psychedelic realism. Oddly, when I was in the flood of his noise, I was also in silence. I have never experienced such an Illusion at any other noise music. However It might only be experienced his real live. Also, I often could hear the energy same as the Mass Projection from his strong picking notes on guitar. I'm sure Mass Projection = Gradually Projection.

 

What did you do after finishing your study cycle with him? How do you approach music at this time? What music did you want to do?

Takayanagi died in 1991, however I hadn't completed his entire course yet. So then some remaining student including me continued to learn the Takayanagi method from Kazuo Imai who was the only student who could graduate from Takayanagi.  After that, I destroyed my finger and spent a lot of time learning from him the whole process of the rest of the method. After learning from Imai, I had tried to play an experimental solo noise project for some years in the local Kansai because I wanted to reproduce the psychedelic experience and realism of Takayanagi sound by my own approach.

Also, I've been mainly interested in the quiet musical approach so far. And I have been thinking about abstract concepts for many years. Currently, I am in a borderless area with no tonality or abstract(even about volume). To immerse in it more deeply,  I need to learn more about pan-music(sounds) and the history of various things. I am dreaming the no genre or no categorized music.

 

Did you hang out with his other students like Kazuo Imai or Otomo Yoshihide?

Unfortunately I never played with them when I was a student of Takayanagi. Imai had already graduated from Takayanagi's lesson and he or Akira Iijima were our substitute teachers on the day Takayanagi was sick.

 

How do you come to play with Taku Sugimoto? How do you see this Onkyo stage?

I'm sorry I don't remember when or where we met at first time. but I remember he introduced me to you for the first time by sending my CD. I really appreciate him even now.

I don't also remember how I met Onkyo but when I first experienced them, I was impressed like that time when I heard John Cage's cartridge music, and I sympathized with it because I also had such a concept for a long time.

 

Did reading John Cage's texts influence your relationship to music?

I was very interested in his innovative concept of music, however to be honest, I don't like so much some his work actually expressed as sound (including 4:33 or his performances without music).  It might be because there were many occasions when I didn't find or feel beauty from his works using the theory of an accidental music (Cage might say, it's because my ears are trapped in "music" and not open.). But I like so much a kind of his electric cartridge music and some of them have brought a great influence on me.

 

You also played with Otomo Yoshihide. How are his meetings going?

I hadn't seen him for a very long time. In fact, The live recording in Tokyo in 2005 was the first time the two co-starred. In 2013, we co-starred again in the duo recording and the concert that night. After that, the most recent playing with him was when I invited him as a guest when I performed an introductory performance of documental film music in Tokyo in 2015.  As you can see, I have played with Otomo only a few times, but In my improvised ensemble with someone, playing with Otomo feels one of the best for me. It might have a little nostalgia as in my old memories, but as musicians Otomo's honed sensation and vast musicality bring so deep impression to me and really enjoyed every time.  His music is his own music, is never that of Takayanagi but I think his sound has surely takayanagi's spirits.

 

How do you approach the composition? Do you go through traditional notation or the use of graphic or other scores? What place do you leave for improvisation?

I'm not a composer of experimental musical type. also I don't take a way to come up with a concept first and then build it slowly. I usually use normal score. However I usually put notes in a normal score. But about rhythm, almost my works do not have a clear tempo, so mostly bar lines are not necessary. It's my own rhythm like Japanese "Ma" of when my playing improvisation, so it will be very difficult for anothr playe to play my score correctly with my image. About the way of my composition, the memories of my five senses are converted into sound images and appear suddenly as sounds. Sometimes they are like abstract paintings, sometimes they are like popular music. I don't know at all why so. Then I will often try to elaborate and modify these sound image to compose them as tangible songs.

 

What are you looking for in improvisation?

If there is no mistake in my memory, Derek Bailey wrote in his own book "Improvisation" that improvisation is inherent in the process of creating various music. Some primitive music often comes from improvisation, so I don't think Improvisation itself is not influenced by fashion. In the first place, I think that the act of composing = creation itself is like improvisation what is spent long time. I guess a lot of people recognize that improvisations are merely reproductions of past memories and clichés. John Cage and some composers of contemporary music were not very interested in improvisation as a finality, rather they saw it as a body of habits that hampered the musician. Also M. Feldman quit graphic notation due to the improvisational performance of the performer's self-interpretation.

Contrary to them, Takayanagi asserted that improvisation was a light of hope for future music. He does not consider improvisation to be a cliché, a performer's habit, or just a reproduction of past memories. It's still too high a hope at this point, but maybe manifest itself on the day when humans reach a much higher level internally. I also wish to find or experience such next improvisation world although it will be too difficult that is realized while I'm alive.

 

What changes for you about improvising alone or improvising with other musicians? Do you happen to not listen to the other musicians with whom you improvise, to be in your inner world?

I have a concept and image of self-expression, so playing solo, improvised or composed, is the best way for me so far. In the case of my improvising with other musicians, I hope to play with people who have as close to my aesthetic sense of values as possible (because of I'm not so interested in experiments in group improvisation right now). It's not that they all have the same genre or similar means of expression, but I want to create an ensemble where everyone can enjoy the "process" of creating one work by together. Or, I sometimes take a way like a group exhibition in art where the sounds of each other are staggered side by side ( it's a sequence of each solos like Japanese "renga"-a linked verse). In any case, I’m sure it's important to find various ideas without impairing the expressiveness of oneself and others and avoid the historical failures of improvisation.

 

You composed the soundtrack for a film about Frida Kalho. How did you approach this work? What resonance do you see between your music and her painting?What does composing the soundtrack to a movie involve?

First of all, why I decided to participate his movie works despite my inexperience in film music was that I found the beauty of the film directed by Tadasuke Kotani was very well linked to my sensibility. I knew Frida Kahlo's name and some of her works because she was famous, but I didn't know the pain and suffering of her spectacular life until I participated in this documentary film. I have seen Frida's works only on the internet, even so,  I felt very mysterious feeling to see a lot of her pictures which was drawn by coloring with Mexican-taste, with painful and strange concepts.  Then I composed several tunes by inspired by a glimpse of the blood, prayer, pure white world, and her blue house in her work. However, I soon became to be more interesting in her legacy such as  clothes, shoes, and daily necessities, further I was really impressed to a lot of photographs by Miyako Ishiuchi taken with amazing reality and beauty. The legacies of Frida have become a really beautiful photographic works of Ishiuchi due to her tender heart and love, wonderful shading or lighting technique, and sensibility of delicate composition. I'm sure Frida will be happy too. Tadasuke Kotani visualized the life work of Miyako Ishiuchi who took a picture of the life of Frida Kahlo, with his unique, exquisite, dramatic, and literary touch and silent beauty. So I didn't make music just for Frida only. The overall movie and the three artists brought me a lot of inspiration and images. Therefore, I also dedicated the music to Ishiuchi, Director Kotani.

 

You toured in Europe. What differences did you feel between audiences and the way musicians in Europe approach music? What does playing in Europe mean to you?

In Japan when I was born and raised, Western music was already pervasive everywhere. I myself listen to, play on a daily basis, and love them, so I don't feel odd almostly with European musicians. However I think that the strange impression that many Westerners have on Japanese people still remains (for example,  like obscuring things or shaking the judgment of right and wrong...). These might be due to differences in fundamental religious concepts since ancient times. Since my first visit to Europe, I was very interested in how abstract music made with this Japanese feel would feel to the European audience other than my pleasure of interacting with different cultures.

That's exactly what the concept of "Yū" I played on my last tour(2019) was. Although very difficult to explain in other languages, "Yū" is like a hazy illusion in which the soul appears like steam, or "Monono-Aware". This time, I visited several European countries with wonderful dancer "Misuzu", and Naoyo Yakushi who always patiently understands and plays my works.  Fortunately, a lot of audiences at any venues accepted our performance "Yū / phantom" very favorably. It was a really great pleasure and favorable evaluation beyond expectations for me.

 

What does the record mean to you?

Recording is just a "record". It is most important to actually experience playing music live, but I think it is a really good tool to enjoy a virtual re-experience of a presence feeling or for music analysis. I also think recording is a convenient way to save them for a long time and verifiy a more accurate history of performers and music.

 

Propos recueillis par courrier à l’automne 2020

Photographie de Michel Henritzi

 


 

 


 

 









 

 

 

 



2021/04/06

MICHEL HENRITZI / MICRO JAPON [original French]

 

 The book Michel Henritzi interviewed more than thirty musicians active in the Japanese underground scene has finally been released !



SHIN’ICHI ISOHATA


Shin’ichi Isohata fut le dernier élève de Masayuki Takayanagi (qui enseigna la guitare), après d’autres guitaristes plus illustres, comme Yoshihide Otomo et Kazuo Imai. Sa façon de penser l’acte musical et le son, sa morale, en ont été profondément influencé. De ces années passées dans l’ombre du maître, il a retenu un goût pour le travail, la perfection, l’exigence. Durant ses années d’études, il pratiquait son instrument jusqu’à douze heures par jour, sans autre distraction ou vie sociale, à la manière d’un moine. Le dernierTakayanagi était dans l’extrême sonore, il su"t d’écouter Action Directe pour s’en convaincre ; performances, où il accumulait des strates de guitare noise, bruits de moteurs et enregistrementspolitiques, jusqu’à saturation de l’espace sonore dans un mur de bruits. 

Isohata part de l’extrême opposé, dans un jeu tout en retenu, au seuil du silence, d’une grande humilité. Il n’y a jamais rien de démonstratif, malgré sa technique ahurissante, comme ces moines haïkistes qui préfèrent à l’accumulation la raréfaction, la pauvreté pour révéler la beauté d’un motif. Tout semble dans sa musique dessiné, posé, avec une grande délicatesse, avec fragilité : doigtés dessinant des mélodies fantômes tissées d’harmoniques aux motifs complexes. C’est Taku Sugimoto qui m’a présenté Shin’ichi Isohata à qui il faisait parfois appel pour jouer ses compositions, parlant de lui de façon élogieuse, de sa technique et, au-delà, de son écoute rare. Compositeur – notamment de la bande-son du documentaire de Tadasuke Kotani, The Legacy of Frida Kahlo –, parfois concertiste solitaire et inspiré, il organise également des rencontres d’improvisation dans le Kansai, avec des musiciens de passage :Naoyo Yakushi, Yoshihide Otomo, Gianni Gebbia, Reiko Imanishi, Ivar Grydeland... 

 

Où es-tu né ? 

Je suis né à Osaka en 1962, j’étais le seul enfant de ma famille. J’ai grandi dans la banlieue, à Amagasaki, où j’ai vécu jusqu’à mes 18 ans.

 

Quel est le premier son dont tu te souviennes ? Qu’est-ce qui t’a amené à prendre conscience de la musicalité d’un son ?

Mon premier souvenir de son particulier est celui d’une onomatopée dans un programme pour enfant à la télé. Rétrospectivement, je dirais que ça sonnait un peu comme les sons qu’avait créés Toru Takemitsu pour le "lm Kaidan. 

 

Qu’est-ce qui a suscité ce désir d’apprendre un instrument, et pourquoi la guitare ?

J’étais encore au lycée. A cette époque, le folk japonais et la pop étaient très populaires et la plupart des chansons qu’on entendait étaient accompagnées à la guitare. Je me suis mis naturellement à la guitare, comme beaucoup d’adolescents, parce que je voulais jouer certains des tubes qui passaient à la radio. C’est un de mes amis qui m’a enseigné la guitare classique, j’étais encore au lycée. C’était un excellent guitariste, qui a reçu de nombreux prix.

 

La technique est-elle un élément essentiel pour créer musicalement ? Quel est ton rapport à cette question de la technique de jeu ?

La technique permet de s’exprimer au plus juste, mais ça dépend aussi de ce que vous cherchez à exprimer. Je pense que mettre en avant la technique sans avoir une vision claire de la musique est une perte de temps.

 

As-tu étudié la musique durant ta scolarité ? Quelle genre d’initiation musicale l’école japonaise propose-t-elle aux enfants ? Dans une Histoire du Japon, j’ai lu qu’à partir de l’ère Meiji les musiques traditionnelles ont cessé d’être enseignées au profit de la musique occidentale. Comment ressens-tu cette occultation de la culture traditionnelle japonaise pour une musique exogène ? 

La plupart des musiques traditionnelles sont liées à notre folklore, il existe au Japon de nombreux genres musicaux, chacun étant lié à une classe sociale. Certaines comptines, enseignées aux enfants avant-guerre, étaient très imprégnées d’un caractère japonais, mais après-guerre, l’éducation musicale dans les écoles fût exclusivement axée sur la musique occidentale. Le gouvernement, à l’époque Meiji, avait adopté la musique occidentale pour unifier et moderniser notre musique. Cependant, la spiritualité inhérente à la nation est si profondément enracinée qu’elle ne disparaîtra pas facilement. On ne peut pas « éduquer » la musique (ou toute autre forme d’art). Les 

japonais sont attachés à leurs cultures et leurs traditions, qu’ils veulent donc préserver. En fin de compte, l’éducation artistique présente un risque énorme, celui d’assujettir l’art à l’autorité et aux intérêts commerciaux et de dégrader l’artiste lui-même. Bien qu’il 

puisse y avoir des di"érences d’interprétation sur l’art et la culture entre les Japonais et les Européens, nous pouvons ressentir des émotions et de l’intérêt pour des cultures exogènes. L’enseignement de la musique devrait consister à jouer d’un instrument, quiconque veut faire de la musique peut le faire librement, choisir sa voie.

 

Qu’écoutais-tu durant tes années à l’université, quelle musique jouais-tu ?

Je voulais étudier les théories de la musique jazz et les techniques liées à la guitare jazz, aussi j’ai décidé de quitter ma région natale et d’entrer dans une école de musique à Tokyo. J’avais vingt ans. J’écoutais principalement du jazz et du jazz-fusion à cette époque. J’étais fasciné par les harmonies et les mélodies mystérieuses que jouaient des guitaristes comme Eddie Duran, que je voyais à la télévision quand j’avais 13 ans. J’adorais le jeu des guitaristes de jazz.

 

Que représentes pour toi le jazz ? Ce genre est très présent dans la société japonaise, un peu à la façon d’un papier peint. Quels sont les musiciens qui t’intéressaient avant de rencontrer Takayanagi ?

Déjà gamin, les dissonances et les mélodies jazz m’attiraient, j’aimais la façon dont le jazz se créait dans l’instant. Je crois que c’est ce qui m’a amené à m’intéresser à l’improvisation et m’a permis d’aborder la musique avec plus de liberté. Avant ma rencontre avec Takayanagi, le premier disque de jazz que j’ai acheté était Midnight Blue de Kenny Burrell, un peu par hasard. Je me souviens avoir été heureux de réussir à rejouer sa musique et celle de Joe Pass ou de Jeff Beck, en me "ant à ma seule oreille, sans rien connaître des théories du jazz. Cet ami dont je vous ai parlé, qui était un très bon guitariste, m’a aussi fait découvrir des guitaristes comme Andrés Segovia, John Williams, Agustín Barrios ou Leo Brouwer... J’ai aussi été in#uencé par la musique  classique occidentale, contemporaine, par la musique sud-américaine, la pop japonaise, les chansons de Yōsui Inoue, Kiyoshi Hasegawa, YMO, Yumi Matsutōya, Kazumi Watanabe qui avait lui aussi été élève de Takayanagi. Je m’intéressais également aux instruments traditionnels à cordes, ceux qui me rappelaient la guitare, comme le biwa. J’écoutais aussi beaucoup November Steps de Toru Takemitsu, qui a eu lui aussi une grande in#uence sur mon approche musicale. 

 

Parler d’un jazz japonais fait-il sens selon toi ? 

Je ne connais pas grand-chose à l’histoire du jazz au Japon. De plus, je ne peux guère parler de la scène jazz actuelle n’ayant aucun lien avec elle. Je peux indirectement vous répéter ce qu’en disait Takayanagi, qui était très critique vis-à-vis du petit monde du jazz au Japon.

 

Sur quoi portaient ses critiques et plus explicitement celles à l’encontre des musiciens de la scène free japonaise ?

Il critiquait beaucoup ces musiciens parce qu’il ne croyait pas à la sincérité de leur engagement dans la musique, il pensait qu’ils se servaient de la musique pour en faire commerce et monnayer leur nom. De son coté, il voulait autant que possible consacrer sa vie à la musique sans se compromettre, en gardant les mains propres. Il était très radical dans son art, comme dans sa vie.

 

Comment rencontres-tu Masayuki Takayanagi et en viens-tu à suivre ses cours ? Avais-tu étudié avec un autre professeur avant lui ?

J’avais suivi des cours dans une école de musique, je connaissais les théories de la guitare jazz avant de rencontrer Takayanagi. J’avais étudié avec un très bon guitariste, Tim Donahue, qui vivait au Japon à cette époque, il était très connu comme guitariste jouant fretless. J’ai assisté à un concert noise de Takayanagi dans un petit club de Tokyo, ce qui m’a beaucoup perturbé : cette masse sonore qu’il produisait sur scène avec son instrument était ahurissante. Je devais avoir 22 ans. Je me souviendrais toujours de ce rugissement énorme qui a submergé mon corps et mon esprit, cela m’a vraiment remué. Je ne voulais pas rester et subir ce que je ressentais comme une torture sonore, mais d’un autre côté, j’y entendais une étrange beauté dans les sons qu’il produisait, et petit à petit, cela m’a envoûté. J’en ai gardé des acouphènes pendant plusieurs semaines. Lors de ce concert, Yoshihide Otomo, qui était élève et roadie de Takayanagi à cette époque, a accroché au mur de la salle une annonce disant que Takayanagi recrutait des élèves pour ses cours. Je m’y suis inscrit. Cette soirée a marqué un tournant dans ma vie, c’était au printemps 1985.

 

J’imagine que d’assister à une performance d’Action Directe, après avoir écouté Eric Dolphy, Bill Evans, Jim Hall..., doit être un sacré choc. 

J’ai pu assister à de nombreux concerts de Takayanagi. Comme je l’ai dit, la première fois que je suis allé à un concert d’Action Directe, ce fut un supplice mais mes valeurs musicales en ont été ébranlé et ont commencé à changer. Après plusieurs performances, tout ce bruit qu’il produisait avec son dispositif de guitare sur table sonnait à mes oreilles comme une sorte de symphonie harmonique très belle, qui m’apportait une paix intérieure. Takayanagi disait de sa musique qu’elle était psychédélique et non pas noise. Je suis d’accord avec ça, même si on ne peut le saisir que dans la situation d’un concert.

 

Connaissais-tu la scène free japonaise, je pense à Motoharu Yoshizawa, Yosuke Yamashita, Kaoru Abe, Masahiko Sato... ? Lisais-tu les critiques d’Akira Aida ou Teruto Soejima ?

Je connaissais quelques disques, mais je n’étais pas très intéressé par cette scène free. J’avais également lu quelques textes d’Akira Aida et de Teruto Soejima. Mais le critique musical qui m’a le plus intéressé à cette époque a été Toshihiko Shimizu.

 

Quand on est un jeune musicien qui se cherche, comment vit-on cette confrontation entre un jazz importé et l’apparition d’une scène locale aussi radicale qui remet en question la dé!nition même du jazz ? 

Cette musique était sans doute liée aux conditions sociales, politiques, économiques, de cette époque, mais je n’avais pas le temps de m’y intéresser parce que les cours de Takayanagi et ma pratique de l’instrument me prenaient tout mon temps.

 

 Comment se déroulaient les cours avec Takayanagi ? Les augmentait-il de discussions sur la philosophie ou la politique ? 

En 1985, l’année où j’ai commencé à suivre ses cours, Takayanagi intervenait dans trois classes di!érentes. Les cours avaient lieu dans un studio à Shibuya. Otomo avait été élève dans une de ses premières classes. Je suis arrivé plus tard, lors des dernières sessions qu’a données Takayanagi. Initialement, les cours étaient collectifs, ce n’étaient pas des leçons particulières, toutes les personnes présentent dans le studio y participaient. Nous devions être une dizaine d’élèves mais, très rapidement, nous avons été de moins en moins nombreux à assister aux cours, jusqu’à ce que nous nous retrouvions à trois ; de fait, ça devenait des leçons particulières. Je pense que je suis le seul élève de cette classe qui soit toujours actif dans le domaine musical. Ses leçons consistaient à nous donner les bases techniques pour jouer de la guitare correctement. D’un point de vue formel, c’était assez proche des cours de guitare classique, nous montrant comment tenir correctement l’instrument, placer ses bras et ses jambes, comment jouer sur les cordes, essentiellement en utilisant un médiator. Ilnous parlait de musique avec passion. Parfois, ça prenait une bonne partie du cours, mais pour moi c’était tout aussi intéressant que l’aspect technique du jeu qu’il nous enseignait. L’année qui a précédé sa mort, il nous a beaucoup parlé de l’histoire du jazz. On faisait une lecture du Grand Livre du Jazz de Joachim-Ernst Berendt, qui recoupait certaines de ses idées sur la musique. Ces lectures ouvraient sur des discussions que nous avions avec lui sur la musique. Il nous arrivait parfois d’aborder des questions sur la politique ou la sociologie.

 

Pourrais-tu me parler des concepts de Mass Projection et de Gradually Projection ?

Ce sont deux approches radicalement opposées du son, mais aussi du rythme, de l’intensité et de l’énergie déployées. Pour les dé!nir simplement, le concept de Gradually Projection implique de n’utiliser des sons qu’à de très faibles intensités, tout en pouvant jouer sur les volumes, ce n’est pas un processus qui irait du silence vers un bruit de plus en plus fort ; quant à celui de Mass Projection, il consiste à jouer à un volume maximal en utilisant des sons à ultra-haute densité. Il utilisait indi"éremment ces deux concepts pour ses performances de guitare free, comme pour son projet bruitiste, Action Directe. Qu’il n’y ait pas de malentendu, la di"érence entre ces deux approches ne tient pas dans le nombre de notes jouées ou dans une di"érence de volume, toutes deux sont en phase avec la philosophie bouddhiste, j’y reviendrai. Gradually Projection est une forme de silence extrême, une sorte de décomposition sonore qui a son temps propre, où le silence n’est jamais l’interruption ou la fin de la musique. Pour le projet Action Direct, Takayanagi avait fait le choix d’utiliser un moteur pour mettre en vibration les cordes de sa guitare électrique afin d’obtenir un rythme extrêmement rapide qu’un musicien ne pourrait pas jouer avec ses seules mains. Les dernières années où je le voyais, Takayanagi me disait qu’il essayait d’avoir une approche bouddhiste de la musique.

 

Que représente pour toi le silence en musique ? 

Je ne pense pas le silence comme une absence de son, mais comme quelque chose de lié au sentiment japonais du Wabi-Sabi. C’est un espace entre deux sons où existe une résonance. Le silence accueille le bruit en lui. Les deux n’existent pas séparément, mais coexistent toujours, deux est en un. C’est une pensée liée à la philosophie bouddhiste qui dit « il y a 3000 mondes dans l’instant furtif d’une pensée. » Takayanagi s’est beaucoup intéressé au bouddhisme dans sa jeunesse et ses dernières années. Certaines œuvres de Toru Takemitsu nous laissent entendre le silence à travers les sons produits par des instruments japonais traditionnels. Je pense que de nombreux Japonais ressentent une forme de silence dans un environnement sonore parfois bruyant. Comme l’évoque ce haiku de Matsuo Basho : Le silence profond / la stridence des cigales / s’in!ltre dans les rochers (Shizukesa-ya iwa-ni shimiiru semi-no-koe). A l’opposé de ce concept, je me pose la question de savoir si, lorsque je produis un seul petit son dans un espace silencieux, celui-ci sera un bruit trop fort, qui perturbera ce micro-monde. 

 

Qu’ont apporté ces cours à ta pratique et à ta ré!exion sur la musique ? 

Tant de choses ! J’avais déjà acquis une certaine technique instrumentale quand je suis devenu son élève, c’était donc très ennuyeux au début d’assister à des cours basiques et de répéter des gammes chromatiques à l’ifini. Il m’a fallu du temps pour comprendre à quel point ces simples exercices étaient importants et pouvaient m’aider à corriger mes mauvaises habitudes. Il mettait aussi l’accent sur les liens entre l’expression musicale et la technique.

 

Que penses-tu aujourd’hui de sa musique ? Quel regard portes-tu sur Action Directe ?

Sa musique pour guitare seule est d’une certaine façon proche du jazz, mais en même temps on y entend l’in"uence de la musique contemporaine. Comme chez Derek Bailey, mais leurs racines sont di#érentes. Mon jeu de guitare est in"uencé par leurs deux styles, leurs deux approches. La plupart des concerts auxquels j’ai assisté ont eu lieu durant sa dernière période, qu’on pourrait dé!nir de noise. Je me souviens encore clairement du son très rude de ses performances. Mais, comme je le disais un peu plus tôt, cette douleur auditive que j’ai ressentie la première fois, s’est progressivement transformée en un confort d’écoute semblable à celui d’une berceuse, dans une forme presque psychédélique. Tout en étant immergé dans ce "ot bruitiste extrême, je ressentais paradoxalement un profond silence. Je n’ai jamais connu une telle illusion auditive à l’écoute d’une autre musique, et particulièrement dans un concert noise. Il faut en faire l’expérience pour le ressentir et le comprendre. A travers sa musique, il y a une volonté de créer des énergies en jouant fortissimo des ensembles de notes à la guitare. Je pourrais dire que Mass Projection = Gradually Projection.

 

Qu’as-tu fait après avoir terminé ton cycle d’étude avec lui ? Comment abordes-tu la musique à ce moment-là ? Quelle musique voulais-tu jouer ? 

Quand Takayanagi est mort, en 1991, je n’avais pas encore terminé mon cursus avec lui. J’ai continué à étudier sa méthode avec Kazuo Imai comme professeur, qui était le seul étudiant ayant été diplômé de l’école de Takayanagi. J’ai passé beaucoup de temps à apprendre avec lui ce que je n’avais pu apprendre de Takayanagi. Par la suite, j’ai travaillé sur un projet expérimental bruitiste en solo, je voulais reprendre l’expérience psychédélique de Takayanagi en utilisant mes propres techniques et moyens. Puis je me suis intéressé à une approche plus silencieuse de la musique, en utilisant des concepts abstraits. J’essaye de créer une musique qui serait dans une zone sans frontières, libre de toute tonalité, qui n’appartiendrait à aucun un genre ou catégorie. 

 

Fréquentais-tu ses autres élèves comme Kazuo Imai ou Yoshihide Otomo ? 

Malheureusement, je n’ai jamais joué avec eux quand j’étais élève de Takayanagi. Imai était déjà diplômé et il était professeur suppléant quand Takayanagi était malade.

 

Comment en viens-tu à jouer avec Taku Sugimoto ? Quel regard portes-tu sur la scène Onkyo ?

Je ne me souviens pas comment j’ai rencontré les musiciens du groupe Onkyo, mais j’ai été très impressionné par leurs performances, cela me rappelait Cartridge Music de John Cage, je partageais leurs idées sur le son.

 

Est-ce que la lecture des textes de John Cage a in!uencé ton rapport à la musique ?

L’approche conceptuelle très novatrice de la musique chez Cage m’a beaucoup intéressé mais, pour être honnête, je n’aime pas tellement la résultat concret de certains de ses travaux conceptuels (comme « 4:33 » ou ses performances sans musique). C’est peut-être parce qu’à de nombreuses occasions d’écoute je n’ai pas trouvé ou ressenti la beauté de ses pièces construites à partir de sa théorie de musique accidentelle. Mais certaines de ses compositions m’ont beaucoup influencé.

 

Tu as aussi joué avec Yoshihide Otomo. 

Je ne l’avais pas revu depuis très longtemps. En fait, l’enregistrement live à Tokyo de 2005, est tiré de notre première performance en duo. Nous avons très peu joué ensemble, mais c’est un des partenaires avec qui je préfère jouer. La dernière fois que nous avons joué ensemble remonte à 2013. Son sens musical aigu m’apporte à chaque fois une profonde impression de plénitude. Sa musique ne ressemble à nulle autre ; ça ne sera jamais celle de Takayanagi mais je pense que le son d’Otomo porte sûrement en lui l’esprit de Takayanagi.

 

Comment abordes-tu la composition ? Passes-tu par la notation traditionnelle ou par l’utilisation de partitions graphiques ou autres ? Quelle place laisses-tu à l’improvisation ? 

Je ne suis pas un compositeur expérimental. Je ne suis pas non plus très intéressé par le fait de proposer un concept que j’appliquerais dans mon jeu. J’utilise le système de notation classique, en utilisant les codes du solfège. Par contre, je ne dé"nis pas de tempo de façon marquée, la plupart des barres de mesures ne sont pas nécessaires dans ma musique. Je laisse donc une part d’improvisation pour le rythme, ce qui rend mes compositions très di#ciles à jouer pour un autre musicien, la perception du rythme est pour chacun de nous di$érente. Concernant mes compositions, elles reposent sur ma mémoire des cinq sens, y compris celui de l’ouïe, qui sont convertis en images sonores et apparaissent soudainement sous forme de sons. Parfois, ce sont comme des peintures abstraites, d’autres fois, elles sonnent comme de la musique populaire. En travaillant à partir de ces images, j’essaie d’apporter quelques modi"cations et d’améliorer ma composition.

 

Que recherches-tu dans l’improvisation ? 

Dans son livre sur la pratique de l’improvisation, Derek Bailey a écrit que l’improvisation est inhérente au processus de production de la plupart des musiques. De ce fait, je ne pense pas que l’improvisation puisse n’être qu’un phénomène de mode. Je pense que l’acte de composer est comme celui d’improviser, ils sont l’un dans l’autre. Beaucoup de gens pensent que les improvisations sont constituées essentiellement par la reproduction de souvenirs des musiciens, que ceux-ci se constituent un vocabulaire à partir d’une mémoire gestuelle. John Cage et certains compositeurs de musique contemporaine n’étaient pas très intéressés par l’improvisation en tant que finalité, ils y voyaient plutôt un corpus d’habitudes qui entravait le musicien. Morton Feldman a fini par abandonner la notation graphique en raison de la place que ce type de partition laissait à l’improvisation et à l’auto-interprétation du musicien. Contrairement à eux, Takayanagi a"rmait que l’improvisation apportait une lueur d’espoir pour la musique future. Il ne considérait pas l’improvisation comme un cliché qui reposait sur les habitudes des interprètes ou simplement comme une reproduction de souvenirs passés. Il y voyait une pratique musicale très riche, ouverte sur des accidents créatifs. De mon coté, je souhaite continuer à expérimenter et trouver de nouvelles voies pour ma musique qui pourraient recourir indi#éremment à l’improvisation ou à la composition.

 

Qu’est-ce qui change pour toi selon que tu improvises seul ou en compagnie d’autres musiciens ? T’arrive-t-il de ne pas écouter les autres musiciens avec qui tu improvises, d’être dans ton monde intérieur ?

Je préfère jouer en solo, et ce que j’improvise ou que je joue une de mes compositions. J’ai des attentes précises dans ce que j’essaye de créer en concert. Quand je suis amené à improviser avec d’autres musiciens, je préfère jouer avec des personnes avec qui je partage une même approche esthétique. Ce qui ne veut pas dire que nous devions employer des moyens d’expression similaires, mais plutôt avoir l’envie de créer un ensemble sonore où toutes les parties prennent place comme dans un puzzle, où les sons des uns et des autres sont décalés, comme une séquence de solos. Il est important de trouver un chemin collectif qui ne nuise pas à l’expressivité de soi et des autres et d’éviter les échecs historiques de l’improvisation.

 

Tu as composé la B.O. d’un film consacré à Frida Kahlo. Comment as-tu abordé ce travail ? Quelle résonance vois-tu entre ta musique et sa peinture ? Qu’implique le fait de composer la bande-son d’un film ? 

La raison pour laquelle j’ai décidé de participer à ce projet cinématographique, malgré mon inexpérience de la musique de film, est liée au fait que la réalisation de Tadasuke Kotani était en phase avec ma sensibilité. Je connaissais certaines œuvres de Frida Kahlo mais je ne connaissais pas la douleur et la sou#rance qui ont marqué sa vie. J’ai été impressionné par certaines de ses peintures qui montraient ses sentiments de douleur en utilisant des couleurs très vives. Son travail et, au-delà, sa vie m’ont beaucoup inspiré pour la musique. Elle a peint avec son cœur et a créé une technique incroyable de jeux de lumière et de disposition de couleurs dans ses tableaux. Ce qui m’a le plus intéressé, ce sont ses vêtements, ses chaussures et ses objets quotidiens, ce qui reste d’elle matériellement, son héritage. Miyako Ishiuchi a pris des photos vraiment magnifiques de tous ses objets et de ses peintures. Tadasuke a magnifiquement visualisé la vie de Frida Kahlo à travers une composition cinématographique exquise qui m’a inspiré pour composer la bande-son, guidé non seulement par l’œuvre de Frida Kahlo mais aussi, et autant, par les images du film.

 

Tu as tourné en Europe. Quelles di!érences as-tu ressenti entre les publics et la façon dont les musiciens en Europe abordent la musique ?

Au Japon, la musique occidentale est omniprésente, j’en écoute presque quotidiennement, aussi je me sens assez proche des musiciens européens. Je pense que de nombreux Occidentaux ont sur les Japonais des idées toutes faites, un certain nombre de clichés. J’aime me retrouver dans une situation où je dois interagir avec une culture di"érente, voir comment le public européen ressent ma musique, sa japonité. Lors de ma dernière tournée en Europe, ma musique était construite autour du concept du Yù, qui parle d’une illusion brumeuse, une sorte de vapeur, dans laquelle l’âme apparaît. J’ai été très surpris que le public soit si réceptif.

 

Que représente le disque, pour toi ? 

Un disque n’est qu’un « enregistrement » de ce qui a eu lieu. Le plus important est de faire l’expérience de jouer, mais je pense qu’un disque est un bon outil pour se remémorer le souvenir d’une musique, d’un moment de notre vie. C’est un moyen très utile pour écouter notre histoire.

 

Propos recueillis par courrier à l’automne 2020

Photographie de Michel Henritzi